第3の教育の柱は、今風に言いますと、「教養を高める教育」です。今ではそれを「学習」と呼んでいますが、人生を充実させるというか人生を楽しむためのものです。人類が、動物や植物といった自然圏から自立して人間圏を作ってから他の生命体と大きく差をつけ、地球、いや今や宇宙を支配できるような錯覚を起こしてしまったのがこの背景となっている知識でしょう。
よく言われる言葉に、「食べ物は身体の栄養、知識は頭脳の栄養」というのがありますが、人類は知識が増えれば増えるほど人生が楽しくなるようになってしまったのです。知識を受け、それを頭脳に取り込み、理解して、そしてそれを脳に固定することに成功した人を「優秀な人」とか「頭のいい人」ということになります。それが行き過ぎたのが現代なんですが、行き過ぎを是正するのはいいとしても、知識の定着のいい人を重用する世界こそが人間圏の発展と持続のために必要不可欠であることも忘れてはいけないのです。
「頭を使う」といいますが、サッカーでヘディングをしたり、帽子を被るために使うのではなく、脳細胞に蓄積された知識-これをデータといいます-を使って何かを発想し、それをアウトプットする力にするのが、「頭を使う」という意味なんです。そのためには、頭脳の中により多くの知識が貯まっている方が早くそれを処理し、アウトプットできるわけです。
もちろん、人間の脳はコンピューターのように一度インプットさせたデータがずっと残るわけではなく、ほとんどが自然消滅します。いわゆる物忘れ現象ですが、それは一向に構わないわけでして、そのデータがどこから来たのかを知っていればいいのです。
私は歴史が大好きですが、年代や人名、場所などどこを見てもすぐ分かるデータはほとんど暗記しません。私の脳細胞はコンピューターのように記憶素子が多くないので、詰め込まないようにしているからです。すなわち、情報処理のための細胞を多く空にしておくというわけです。こうした作業全般を「教育」というのです。それではこれをうまく行うためにはどうしたらいいのかを次回考えてみましょう。